神戸下町雑記

貧乏中年男子のどうでもいい備忘録

神戸下町雑記 2015/06/18

f:id:kobeblog:20150619050750j:plain
06/18「ラブライブ! The School Idol Movie OSシネマズ神戸ハーバーランドにて

色々あったためしばらくご無沙汰でしたが、久々に映画館に足を運びました。TVシリーズは楽しく観ていましたが、そういえば1期については後半を観ていなかったことを思い出し再視聴したりして準備は万端です。

ひとことでざっくりと言うと、まるで悪い夢でも見ているような、という少しネガティヴに感じる印象でした。悪夢のように酷いということではなくて、なにかこう少しねじくれた世界を覗いているかのような、不安感というか酩酊感というか、そういうものです。

もちろんネガティヴなだけではありません。作画も良く、特に前半パートに関しては正しくラブライブらしい、可愛いし楽しいものでした。音楽も素晴らしい。ラストに流れる、それぞれの名前が含まれた曲は感慨深いものでした。

ミュージカル的な要素はTV放送版からあったものですし、違和感はありません。突然歌って踊るという部分でミュージカルというのは若干の狂気があるものですけど、その程度は全然平気なんですよね。凛が雨の中歌い出すところとか、とても可愛らしく綺麗でした。それぞれの学年パートみんな良かったです。

ただこの作品、二期ラストのあのクリフハンガーからの続きと考えると、ちょっとずつ怖くなってくるんですよね。二期は桜の舞う季節、卒業式で終わりました。そしてこの映画において、その季節は無限のように拡張されるのです。

タイムスケジュールとか些細なものじゃないか、というのも解るのですけど、卒業してからも制服で登校してくる3年生組や、謎のお姉さん(彼女についてはまあ色々解釈はあると思います)の狂気なんてわりと軽いもので、あのラスト近くの巨大ライブシーンの恐ろしささえ表面的なものに感じます。

もしかしたら作中で穂乃果自身が言及していたように、この作品の何処かの時点からは、穂乃果の夢だったのではないか、そう思えてしまって。それは穿ち過ぎですし、ポニョやトトロに関してのあのあまり趣味の良くない解釈と同様に無意味ではあるものの。でもNYからの帰りの飛行機が堕ちていたとしても納得するくらいに、帰国後からこの映画はゾッとする世界になっていったように感じました。

穂乃果は夢邪鬼に取り込まれ、永遠に終わることのないビューティフル・ドリーマーの世界に辿り着き、そのまま帰ってこなかった、飛び越えてしまったのではないか、なんてことまで考えてしまって、後半ちょっと集中が切れてしまったのが残念です。

リアルに考えてみても、μ's解散から(なにやらレッスンそのものは続けるらしいものの)無為に過ごす1-2年、穂乃果や凛たちはそんな虚無感に耐えられるのでしょうか。6人での新ユニットを組んでしまったのでは、この作品における「9人でなければμ'sではない」という制約、呪いみたいなものに抵触してしまいそうで、結局なにもすることがないまま卒業していってしまったのではないか……などと考えてしまう悪趣味を止められない。

元々がファンタジィであって、あの世界には可愛い女の子以外の気持ち悪い男子ファンは存在しませんし、曲を作ればいつの間にかバックバンドが完成させたものを提供してくれますし、スクールアイドルでの活動というのはバイトですらない無給のようだったりとか、考え過ぎちゃいけないのも解るんですけどね。

少しネタバレになりますが、ラスト近くに3年生になった妹たちがμ'sを語るとき、どこかのアニメのようにμ's9人の胸像でもあるのではないか、などと考えてしまうくらい、あの世界はなにかがおかしい、静かに狂っている、そういう感想でした。

ぼくが半端に歳をとってしまい、素直に受け取れないということも大きいと思うので、また再視聴する機会があれば虚心に観られれば良いなと思いました。

余談ですがこの数ヶ月の間に「インターステラー」や「ベイマックス」なんかも観たりして、それぞれ面白かったです。また映画とかちょくちょく観られると良いのですが。